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直腸がん闘病日記~ボヤキ部屋

2004,12退院後の療養

退院後…
  頻便で苦しむ
  便秘は大敵と下剤を飲んで何とか出すが、それが下痢に、
  多いときで20回ほど、
  もう、トイレで生活した方がいいじゃないかと思うくらいだった。
  便秘の時も便意はあるが硬いのが少し出たり、出なかったり、
  下痢同様、頻便状態どちらも血便をともなった。
  腸内が炎症したり、手術跡のチタンホッチキスでとめてあるつなぎ目の部分が、
  こすれて出血するらしい。
  お腹の傷はきりきり痛み、服がこすれて痛いので、タオルを当てていた。
  なによりもきつかったことは、やはり60%再発転移のこと
  子供といるときは暗くなるのはいやなので
  なるだけ明るく振舞っていたが、
  一人の時間が長かったので泣いてばかりいた。
2004、12、21
  退院後初めての診察日~抗がん剤開始
  ホリナート・テガフール・ウラシル療法と言われ
  ロイコボリン錠25mgとユーエフティを一緒に服用する治療法
  1日3回8時間ごとに服用し、28日続けて、その後7日休み
  これを1年間繰り返すとのことに。
  (なぜか5月で終わってしまったけど)
 
  薬代1か月で8万円!驚いた。
  生活苦の悩みが一段と重くのしかかってきた。
それから
  検査は6か月おきに造影剤なしのCT
  腫瘍マーカーは私の体には反応がないので判断材料にはならない
  ステージ3bで再発転移が60%と言われ自分には
  こんな生ぬるい検査では万が一の時、早い対応はできないし、
  手遅れになってしまうかもしれないといつも不安を感じながら、
  月一回の診察を受けた。
  自分から、腹部エコー、肺CTなど申し入れて、検査してもらったりもした。
  大腸内視鏡の検査はいつごろするんですかと聞いたときには、
  Dr「CTで異常があったときにするものだから」と
  肺CTを頼んだときもしぶしぶで、
  Dr「まず肝臓にいくのが多いからねえ」などど、
  とにかく、気難しいDrで、言葉を選んで、話をしなければいけないので
  すごく疲れた。
  ちなみにこの病院の院長である。
  2年目くらいから、造影剤なしでははっきり写らないので、
  MRIに変えてもらった。
  
  ロイコボリン・ユーエフティの抗がん剤は当初一年と聞いていたが、
  4クール、5月で終わり、後はユーエフティ150mgを一日3回服用になった。
  薬代は一か月¥17000に。
  
  体調は、直腸を切り取ってしまったのだから、便を溜めることができず、
  便意を感じたら、ガマンすることができない。
  だから頻便は常に付きまとった。
  便秘傾向にあったので便をやわらかくする薬(マグラックス)で毎日調節するが
  なかなかうまくいかずに、便秘と下痢の繰り返しがずーっと続いた。
  お腹の傷後はいつまでも痛さが続いた。
  Dr「痛みが治ることはありません」と言われ、がっかりさせられたが、
  2年後ぐらいにはすっかり痛みがとれて、
  かまぼこみたいに盛り上がっていたのも平らになった。
  傷あととしては存在はきえず、赤黒く堂々としたものだ。
  倦怠感はずーっと続き、体力が手術前の状態に戻ることはなかった。
  
  仕事はの方は、長時間の立ち仕事であり、トイレに自由に行けないこともあり
  療養5か月目に退職した。

  ガンを患ってこそ良かったこともある。
  父母とゆっくり過ごす時間を持てたこと、
  再発転移が発覚するまでの2年近くの間に、診察日の合間を見て
  短いときで2週間、長いときで1か月半、6回実家で生活できた。
  介護度3の父、要介護の母、両親の世話を一人でしている弟と過ごした日々は
  18歳で実家を離れて遠い地で暮らしていた私にとって、
  この上なく癒された毎日だったし、、今となっては大切な思い出だ。
  実家にいるときは落ち込むことないし、泣くこともなかった。
  


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